2007年01月21日

森雄蔵さんの戦場体験

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証 言: 森雄蔵さん 1915(大正4)年生まれ、さいたま市
取材日時: 2007年1月21日(日) 
 ◆証言を見る方はこちら◆


【取材レポート】

当日は人身事故で最寄り駅のある川越線が一日止まるというハプニング(泣)、この日が初参加の2名が辿り着けないという残念な事態に。けれどもそこは古手のS撮影班長と私、とにかく近くに行きゃー何かあるだろう。結局、元少年飛行兵の方(83歳)が大宮までハイスピードカーを廻して下さって、無事撮影開始となりました。

森さんは、

 ▲1936(昭和11)年1月10日 歩兵第3連隊第10中隊入隊(現役)
   兵種:歩兵   最終階級:伍長

これでピンと来る人はピンと来る(?)
森さんの初陣は何と2.26事件の反乱軍なのです(ビックリ!)。

2.26事件というと私なんか“青年将校、一糸乱れぬ雪の行進”という単純なイメージですが、森さんは入営48日目、右も左も分からぬうちに非常呼集。行ってみたら、2.26事件だった・・・というお話し。当日は、すれ違う魚河岸に行くお兄さん達が、「今日の演習は市街戦だぞ。面白そうだな、帰りに見ようよ」と言っているのを耳にしながら、ご自身も完全に演習のつもり。それにしては何時も1個でも血眼になって探せと言われる薬莢(やっきょう)を「今日は薬莢は拾わなくていいからな」と言われて不思議に思ったとか。警視庁に侵入して占拠したあたりで、ようやくこれは演習ではないらしいと気付いたものの、それでも自分たちが反乱軍側だとは思ってもみなかったそうです。

その後、第10中隊は内務大臣官邸に突入、動画はその様子を語っておられます

後藤文夫内務大臣が留守であった事が、大臣にも森さんにも幸いでした。
2月29日、戦車に包囲され帰順。

「中尉が俺の頭に手を置いて、『お前は今日から兵じゃない。2年間飼い殺しだ』と言われた時、青山墓地の側を通る電車の架線の光がパッパッと光って誘惑するようだった。兵じゃないと言われた時の寂しさなんて、言われた者じゃなけりゃ分からない。」
直に伺っていると、本当にぞっとするような寂しさが沁みてくるお話しでした。

調べてみると2.26事件は1558名の参加者で将校は20名、1027名は森さんと同様の入り立ての初年兵、333名が2年兵なのですね。そういえば先日N事務局長以下が聞き取りをした阿部英夫さんの初陣は2.26事件の鎮圧。森さんからは、「あのような事は二度とあってはならぬ」と言われる一方で、それに呼応する気持ちのあった当時の庶民の生活の苦しさも伺えました。2.26事件に限らない事ですが、意図せず思わぬ運命に巻き込まれる事は、その時代多い事だったのだろうなと考えさせられました。

その後、 「あの部隊は死地にやられるのだと噂された」と言う部隊は、

 ▲1936(昭和11)年5月 渡満
 ▲1937(昭和12)年8月 天津の警備を経て北京に
 ▲同年8月19日〜 北京張家口付近の戦闘に参加(チャハル作戦)
    8月25日  迫撃砲弾の破片で重傷
    8月29日〜11月1日 熱河省・承徳陸軍病院入院
 ▲同年12月 初年兵教育基幹要員に
 ▲1939(昭和14)年1月 満期除隊

死体に埋まった天津の街や河の様子は、後に天津を警備した方々のお話とはまるで違うもので、チャハル作戦の模様、重傷を負われた時のお話し(何故か戦場体験と言うより臨死体験を記録している自分がいた・・・)と、普通に“戦場体験”としても聞き所が多かったのですが、2.26事件に参加された方のお話はこれが最初で最後だろうと思い、今回はそちらを中心にレポートしました。(報告:田所)


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