2009年10月03日

あの戦場体験を語り継ぐ老若の集い戦場体験証言(14)

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戦場体験証言(14) 
今村 真 さん 
陸軍/1944(昭和19)年3月1日 志願/満州(新京)/砲兵憲兵

 関東軍満州撤退 司令部、憲兵隊は、邦人を残し、8月20日内地上陸

 短歌一首
  司令部は 家族をさきに送還す残されし邦人 すべて難民
 八月九日深夜、ソ連軍機の奇襲により平和な満州は一挙に戦場となる。
私の所属した関東憲兵隊司令部科学偵諜班は将校・下士官・軍属二百余は、あわただしく出勤、臨戦態勢に入る。
 八月十日、新京憲兵隊より「関東軍司令部、関東憲兵隊関係家族は、引揚のため正午までに新京駅に集合せよとの命令あり。
「目下集合しつつあり」との連絡があった。
「家族は軽装、食糧は三日分の米と副食物、必要な衣類を携行十日正午までに新京駅に集合」・・我が隊の将校、下士官の家族及び女子軍属は、輸送指揮官の指示により午後一時頃より新京駅に集合した。
しかし、この列車は、満鉄側から軍だけが勝手に使用しては困るとの苦情が出て十一日早朝に出発した。
引揚途中、困難はあったが先頭の人達は八月二十日に内地に上陸している。
後日、全満に散在している部隊より、我々の家族を見殺しにしたとの非難があったが、引揚げを指示善処することが出来なかったとは司令部員の言訳である。
 軍内部のイザコザはいざ知らず、全満には百数十万の在留邦人がいた。それらを守るべき総司令部は家族を優先疎開させ、南満の通化に司令部を後退し、前線で闘っていた部隊は指揮系統を失い混乱した。地方にいた
邦人こそ見捨てられて大混乱になり、残留孤児らの悲劇が生じた。
民を守るべき軍が自己の家族を守りたるさま、軍の堕落ここにきわまる。
 さて私の所属した関東憲兵隊科学偵諜班、通称・司令部四班は、昭和十四年八月一日、ノモンハン事件の最中、創立された。
創立の趣旨は敵性諜報・謀略に備え、無線探査と科学捜査、鑑識によって原因を糾明し、あるいは検挙したスパイを培養して敵の企画を諜報し、作戦計画に役立てるなど、その任務は極めて重大であった。
戦争には武力戦と秘密戦がある。武力は一般軍隊が行い、秘密戦は憲兵、特務機関ならびに特殊部隊がその任に当たる。
 満州国は日本の武力によって独立国とはなったが、周辺は四千キロすべてが敵国であり、また三千万満州人も反満抗日分子が多く、隣国の朝鮮民族も金日成らを主体とした排日抗日の活動あり、華北と称する中国との隣接地域には、中国共産党指揮下の八路軍、国民党軍あり、さらに加えてソビエト軍からの諜報謀略あり、スパイと諜報員が四千人はいると推定されていた。
これらの分子との秘密戦は目には見えない重要な、しかし地味な任務であった。


posted by サゲ at 08:49| 戦場体験 Witnesses of war(interview logs) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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