2009年10月02日

あの戦場体験を語り継ぐ老若の集い戦場体験証言(6)

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戦場体験証言(6) 
 岩谷寿春 さん 
陸軍/1942(昭和17)年3月11日 現役/ニューギニア/航空兵(整備)
 
ニューギニア 落下傘爆弾が直撃 後輩の骸を抱き半狂乱になる 

 奇襲攻撃
 昭和十八年八月十七日に私は東部ニューギニア、ウエワク東飛行場で隼戦闘機の整備をしていた。明十八日から週番上等兵として、山形県出身の太田と宮城県出身の千田と共にその任務に着くことになった。
 その日、三人で飛行場大隊に昼食受領に行き、海辺の砂の上を歩き、椰子葉ぶきの兵舎に戻った。
この日、空中勤務者は休み、別の小屋で休んでいた。最初に空中勤務者四名の配膳をすませ、病患で別棟で休んでいる下士官に分配を始めようとしたその時、急に風を切ったように「シュー」とする音に、とっさに私は顔を上げて前方を見ると、椰子の木すれすれに低空で、アメリカB二十五の機体が目に入った。
私はとっさに「空襲だ、伏せろ」と叫んだが、二人はまだヘラを持ったままだった。
 「早く伏せろ」と言った瞬間、屋根にフアーと白いものが落ちてきた。それが屋根に当たるか当たらないかで爆発した。落下傘爆弾だった。
部屋の入口の椰子の木の根元に伏せていた私は、立ち上がって五、六歩走って太田の姿を見た。宿舎の道路に千田に覆いかぶさるように倒れていた。
「太田」と叫びながら駆け寄って、彼の左手を持ち起こそうと引っ張ったら、血がどうと胸から噴出し、私の服が真赤に血で染まった。
更に抱き上げると心臓が撃ち抜かれていた。即死の状態で、更に血が噴出した。
太田を床に置き、更に通路に下向きに伏した千田を抱き起こすと、まだ息があった。
静かに目を開けた千田は「上等兵殿、太田は大丈夫ですか」「大丈夫だ、しっかりせい」「そうですか。ああ、よかった」・・私は再び、「千田、千田、千田」と叫んだが、返事はなかった。私は声をあげて泣いた。
近くの宿舎から吉良曹長が駆けつけて、私の手から千田を抱き、床の毛布の上に寝かせた。私はまだ泣き止まなかった。
吉良曹長は落下傘を自分の部屋から持ってきて、毛布を敷き、その上に二人を寝かせた。私は放心していたが、悔しさと悲しさと無念が怒りとなって部屋の柱をたたく手から血が噴出した。
激しく悲しいひとときであった。私の体は三人の血で血だるまの姿で砂の上に座っていた。
 上官の樋口曹長が飛行場から駆けつけて、私を見て、「しっかりせんか。ここは戦場だ」と、ビンタと共に大声で叱られた。
 この日の戦場の姿は、私の人生で一生忘れることのない戦場の姿でございました。
 


posted by サゲ at 23:14| 戦場体験 Witnesses of war(interview logs) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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