2009年10月02日

あの戦場体験を語り継ぐ老若の集い 戦場体験証言(3)

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戦場体験証言(3) 佐藤 貞 さん 
陸軍/1944(昭和19)年4月 応召/中国・中支/通信兵(無通手)
 
中国 苦力(クーリー)狩り、返してと泣き叫ぶ妻子を追い払う

 
拉致連行された苦力(クーリー) 
 私は昭和十九年から二十年にかけて中国の中支、南支で強制拉致した苦力に食料や炊事道具を運ばせて行軍しました。
天秤がたわむほどの重い荷を担がされた苦力は、連日の強行軍に履物も擦り切れて裸足の者もいました。苦力は捕まった時のままの姿ですから、別の履物を探すことも出来なかったのです。
 苦力をどうやって捕まえるのでしょうか。
 物資挑発で部落を急襲した時、捕まえた男達に荷物を担がせて人間共々、徴発してしまうのです。
 またある町を出発する前の夜に班長が四、五名の苦力を何処からか連れてきました。
 恐らく警備隊などが浮浪者狩りをして捕まえた男達を各隊に配分したものでしょう。
 床屋、学生、農民などのみんな普通の良民でした。
 翌朝、出発の時、兵のカーキ色と苦力の黒色とが半々の長い隊列に延びていました。
 拉致された苦力の家族が泣き叫んで何処までもついて来ましたが、最後にはいなくなりました。纏足の老婆の哀願する声が哀れでした。
 進むにつれて道端に苦力の死骸が転々と転がっているようになりました。力尽きた苦力の末路だそうです。
 小休止していた私らの脇を大勢の苦力を連れた、よその部隊が通過したことがあります。
 その時、一人の苦力が射殺されるのを見ました。帰してくれとしきりに哀願していたようでした。「よし帰れ」と言われたのか、喜んで十メートルほど行きましたが、後ろから撃たれて川原に倒れました。外の苦力への見せしめに殺したのでしょう。
 また夜行軍中、松明をかかげた異様な苦力の行列を見たことがあります。
 天秤がきしむほどの、何かの砲弾を下げた屈強な苦力達でした。首から首、そして天秤にまで逃げられないように細引きが掛けられていました。衣服には赤や青の識別用の布切れが縫いつけてありました。
 彼らの同胞に撃ち込まれるかもしれない弾を苦力達は運ばされていたのです。 ある町にしばらく逗留することになって不要になった苦力達を解放したことがあります。少しばかりの塩をもらって「謝々謝々」と帰りましたが、あの遠い故郷まで無事に帰るはずはありません。
また苦力は日本軍の協力者として、同胞からも迫害されると聞きましたが、嘘であることを祈るばかりです。


posted by サゲ at 23:06| 戦場体験 Witnesses of war(interview logs) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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