2009年10月02日

あの戦場体験を語り継ぐ老若の集い 戦場体験証言(2)

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戦場体験証言(2)
 児玉 利彦 さん 
陸軍/1943(昭和17)年10月3日 教育召集/歩兵(狙撃)/中国・満州
 
24時間召集 赤紙から一日での入営、母は一夜で千人針を作った

二十四時間召集
 児玉と申します。亡き戦友も含め二百数十万の英霊、また数十万の民間の犠牲になられた方々に心から哀悼の意を伝えると共に、自分が今日こうして元気にしていられる事に何か申し訳なく思いますが、戦争という実態を語り続けるのも、せめてもの供養と思い、話下手を承知で壇上に向かいました。
 御先祖の守護かと思うのですが、私はすべて運が良く、昭和十六年の徴兵検査では身長百七十二センチ、体重五十四キロ、内臓はどこも悪くないのに体重不足という理由で、歩兵第二乙種予備兵となりました。
甲種か第一乙でしたら現役兵で、どうなっていたかわかりません。
 翌昭和十七年六月、教育召集で郡山の東部第六十六部隊、正式名は若松編成の歩兵第百二十九連隊に入隊。三ヶ月経てば臨時召集でそのままというのが定番と覚悟していたのが、三ヶ月で除隊。
 戦後何十年か後、戦友会で、私が教育召集で入隊する数日前の中隊はアッツ島に行き、私が除隊した数日後に編成された隊は、そのままビルマ戦線に行ったそうです。そのとき聞いた話ですが、東部六十六部隊は、現役の初年兵と教育兵を一緒に訓練する部隊だったということです。
 私は内閣直属の中央航空研究所で航空機の翼の研究をしていましたが、戦局は日に日に悪く、研究所員にも召集令が次々に来るようになりました。
昭和十九年六月十五日、友人の召集歓送会を終えて、夜九時半ころ帰宅。
赤紙配達員の知人の在郷軍人が、「おめでとうございます」と赤紙を渡しました。
ついに来たかと開いて見ると、入隊が六月十七日朝八時三十分、三宿の十六部隊へ入れ、とあります。
これにはあわてましたね。いわゆる二十四時間召集です。
翌十六日は、一日で職場はもちろん、隣近所、私物も全部片付けるわけです。頭も坊主狩り。当時の隣組組織は本当によくまとまっていて、幟も襷も用意してくれ、歓送会も開いてくれました。
十七日入隊。そうして何と翌十八日、日本中学の校庭で家族との面会日です。一夜で千人針を作った母。重箱のおはぎのうまかったこと。部隊に戻り、翌日、白帯で巻いた九九式短小銃と刃引きした帯剣を渡され、三々五々、一般電車で品川駅に集合せよという。
 二十一日に博多から釜山で。二十五日、山海関を通過。六月二十七日に南京の浦口に着き、南京の光華門近くに一週間いた。
前線補充隊を運良く避けられ、第二船舶輸送司令部漢口支部に転属。昼間だけの航行で五日かかって岳州に着き、ここに駐屯。
湘潭(しょうたん)へ船舶(ジャンク船など)を使って軍需品の輸送です。幾多の危ない小競り合いもありますが、話はつきません。
ただ二十四時間召集ということがあったというお話をするだけになりました。
 


posted by サゲ at 23:01| 戦場体験 Witnesses of war(interview logs) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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